ジリリリリン(懐かしのダイヤル式電話)
「もしもし?」
「おぅワシやけどな、お父さんおるか⁉︎」
またU島のジイさまだ。
戦後、珈琲貿易の商売を始め
その30年後にウチの父が食器問屋を始めた。
お互い提携、というか協力関係を築いて
珈琲を契約してくれた飲食店さまにはジイさまとこの営業マンが父の会社の食器を勧め
食器を契約してくれた飲食店さまには父の会社の営業マンがジイさまとこの珈琲を勧める
そんな関係だった。
それよりなにより、実祖父が他界した後に生まれた僕にとっては
U島のジイさまは自分のおじいちゃんみたいな存在だったような気がする。
それにしても、いま何時だ。
午前4時だぞ4時。
にも関わらず、私から電話を代わった父は直立不動である。
「また新しいアイデアでも浮かびはったんやろな」
あくびしながら、起きてきた母が言う。
「なんでいっつもこんな時間に電話してきはるんや?」
「ハハハ。あの人はな、自分が起きてたら世の中も全員起きてると思うてはるねん」
うーむ、経営者ってのはそういうもんかと、幼心ながら妙に納得できてしまった。
「アメリカンコーヒーってあるやろ?でもアメリカに行ってもそんなコーヒーあらへん。アレはな、ワシが考えたんや」
「キリマンジャロとかブルーマウンテンってコーヒーな、日本で高級豆として売り始めたんは誰が最初やと思う?ワシやでワシ」
「万博でようさん外人来たやろ?外人はビールでもジュースでも缶で飲みよる。せやからコーヒーも缶で売ったったんや」
正月になると、腰が抜けるほどの豪邸で
いつもそんなことを語って聞かせてくれたもんだ。
今になって
一流の商売人とは、一流の企画マンでなくてはならない
ということを僕に教えてくれたのは、ジイさまが最初だったのだと思う。
そして私が社会に出たのと入れ代わるように、ジイさまは逝かれた。
おーい、ジイさま
おいらはジイさまのおかげで
一流じゃなくてもトップセールスになれたし
三流だったかもしれないけど企画マンもやったし
風任せな人生を歩んできたにも関わらず、今は経営者をさせていただいてる。
今日はジイさまが天国に召された日だな。
お気に入りのあのセリフ、そっちでも叫んでっか?
「コーヒーで乾杯!」って。