無苦庵記【気づきブログ】

バブル期の自動車&甘味に目がない経営コンサルタントの拙いブログです。

パイパーアローの思い出

かつて我が家には、飛行機がありました。


そんな風に書くと、ジェットセッターなんかの大富豪に間違われるかも知れませんが
いや、ごくごく普通の家庭です(ホントに)

 

もちろん飛行機は家の庭に置いていたわけではなく(笑)大阪の八尾空港という民間の飛行場にプールしていたんですね。

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ここは日本アマチュア飛行倶楽部のホーム基地でして
特攻予科練生のまま終戦を迎え、空への想いを絶ち切れないままにいた父が入会し
私が小学生の頃、執念の如き取り組みでライセンスを取得したというわけです。

 

36年前にアメリカで復元されたゼロ戦が、里帰りで八尾空港に飛来しましたが

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そのゼロ戦と並走していたセスナ機を操縦していたのは父で
2機が映るニュースを見ながら誇らし気な顔をしていたもんです。

 

程なくして1億総国民を狂気へと導いたバブル経済が訪れ、父は誰に相談することなく念願の小型飛行機を購入するんですね。

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もしかすると、よくセスナ機で一緒に旅行していたヒコーキ野郎仲間の桂◯珍さんや横山や◯しさんにそそのかされたのかも知れません。

 

よっぽど私が暇そうに見えたのか、週末になると父は私を八尾まで連れて行ってくれたのですが
いつも空港にフェラーリで乗りつける◯珍師匠は、たしかに富豪っぽかったですね。

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うちなんてローレルでしたからローレル。

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ともあれ父は愛機を手に入れて以降、日本のあちこちに飛んでいきました。
旨いうどんを食うために讃岐までひとっ飛びするなんてことは日常茶飯事。
そんな父にパイロットを辞めさせたのは、皮肉なことに愛機そのものだったんですね。
着陸時に機体の制御が突然効かなくなり、最終的には機体の腹を滑走路にヒットさせて不時着したという。
父は奇跡的に無傷で生還できたものの、愛機は全損状態。


その小型飛行機の名はパイパーアロー。

数年前に民家を巻き込んだ墜落事故を起こした機もまた、父の機と同じパイパー社製です。
同じモデル(アロー)ではないようですが、パイパー社に共通する特徴的なカタチに見覚えがあったので
まさかと思って検索してみたら、やはりパイパープロダクトでした。

 

検索すると、パイパー機はちょくちょく問題を起こしているらしいですね。
もちろんパイパー社は世界三大小型飛行機メーカーのひとつなので、販売された母数からしてみればネグリジブル・フュー(存在はするがカウントするまでもない数)なのかも知れませんが
それでもこれは、とても他人事とは思えませんでしたねぇ。