五月病シーズン真っ只中だから、というわけでもありませんが
休みがちの人っているじゃないですか。
でも、あれこれ理由を付けて会社や学校をよく休む自分を正当化しようとする人のほとんどは「さぼり」です。
私の場合、その当日に「内閣総理大臣や他国の大統領や王族と会う予定が入っていても休むのか?」と大袈裟に考えるようにしています。
若い人なら、好きな異性タレントとの初デートや旅行だったりしたらどうだろうか?と考えてみるのもいいかもしれませんね。
これで休みたいと思った原因が体調なのか気分なのか
そして体調だったとしても頑張れるか頑張れないかの判別ができますから。
それでも「こりゃ無理だ」「迷惑かけちゃう」となったら休む。
それ以外は「さぼりたいだけなんだな」と自分に鞭を打つと決めているし
「明日のために無理をしない」なんて耳に心地いい言葉が浮かんだら
それは悪魔の囁きだと思うようにしています。
きっと「自分だけは明日も生きてる」なんて思っているから
そんなおめでたい発想が芽生えるんでしょうね。
若いうちから勉強をナメてきた人がほとんどでしょう。
だから皆、今のような人生を歩んでいるのだろうし、私もそのうちのひとりです。
でも、それは世の中の役には立たないかわりに、迷惑もかけてないじゃないですか。
けれど、仕事をナメていると世の中にも、大切な人にまでも迷惑をかけてしまう。
若い人は特に
今日の仕事は、今日するためだけに在るのだと捉え
休みたいと思う気持ちを疑ってみて欲しいのです。
中高年になってからそのことに気づくと、もう悲惨ですね。
「別に自分は悲惨じゃない、ほっといてほしい」
なんてブーイングが起こるかもしれませんが
それを悲惨だと素直に認められていないこと、それそのものが悲惨なんですね。
うん。
悲惨な目に遭った私が言ってるんだから、きっと間違いないです。
自分が高嶺の花ではないとするなら、雑草らしい強さを身につけないと。