2001年。
今をときめく六本木ヒルズが未だ建設中だった頃、その麓に一軒のレストランが翼を広げました。
芋洗坂の下りきったところ。
TSUTAYAの斜め向いの六本木プラースといえばピンとくる方がいらっしゃるかも知れません。
それが後に『奇跡のレストラン』と称賛されることとなるリゾートレストラン『Casita』です。
「東京にAMANみたいなレストランを作るから、オープンしたら来てよ」
屋根の無いクルマが好きな人達の集いで、そのメンバーである友人を通して紹介されたのが、オーナーである高橋氏との出会いでした。
最初「この人は一体なにを夢みたいなコト言っているんだろう」と思いながら
「そんなレストランを都会のど真ん中に作れるわけがないじゃないですか」と喉まで出かかり思いとどまったことを憶えています。
開業ほどなくして、ふらりと行ってみることにしました。
建物の隅っこの方にひとつだけある、こちらが積極的に探さないと見落としてしまいそうなCasita専用のエレベーターに乗り込みます(この時点で、ちょとした優越感に浸れましたねぇ)
ドアが開くと、そこはもういきなりレセプションエリア。
ヒラリー・スタッグをBGMにサンダルウッドがほのかに香る空間。
シンプルでフレンドリーなダイニングに面したガラスの向こうには、広大なテラスにソファやリゾートベッドが絶妙の距離間で配置されているではありませんか。
いや、腰を抜かしましたね。
まさしく別世界。
これはもう紛れもなく、あのAMANですAMAN。
ここにいると首都高の騒音までもが、波の音に聞こえてしまうのですから
いやはや、人間の感覚なんて都合よくできてるもんだと感心してしまいます。
そんなCasitaで、ひとりのサービスマンと出会いました。
周りに気配を探しても彼はいないのに、何かを頼みたいと思った時には隣に立っている。
食事をご一緒している方との会話に詰まってしまった時に、どこからともなくやって来て話題を提供し、気がつくともうそこには居ない。
つかず、はなれず、やわらかく、ここちよい。
常に満席御礼、東京で最も予約が取りにくいと評される現在の繁盛ぶりからは想像もつかない程にガラガラだった当時の店内。
そんなジリ貧だった創業期を支えた(私を含む)数組のゲストが、後にロイヤルファミリーとしてプライベートテーブルを与えられました。
その私のテーブル担当として、彼がいつもお世話をしてくれていたことが
実は大変贅沢なことだったのだと気付かされたのは、彼が後に巨大化していったCasitaグループの総統括責任者を経て
サービス業のコンサルティング会社を起業され、そのサービスを受ける術の全てを失ってからのことだったのですね。
奇跡のサービスマン、柳沼憲一。
彼を大切な戦友として
私が経営をお預かりしていた会社の社内セミナー講師に迎えたことは言うまでもありません。
社員には
ひとつの世界を極めた人の講話を通して、たとえ掘る穴の場所は違えども
一心不乱に掘り進んで行き着く先には、実は同じ世界が広がっているのだということに気がついてほしい。
それこそが、畑の違う外部から戦友を講師に招いた私の心底です。
尚、ここに綴った話は創成期のCasitaに纏わることで、店は程なくして青山に移転となりました。
ご多分に漏れずグレードアップを果たしたのだけれど、私はあの手作り感が満載のオリジナルCasitaを忘れることができません。
あの店は本当に
奇跡的な偶然が重なり合って生まれた、レストラン界の至宝だったと思います。
もし願いが叶うとするならば、もう一度だけでいい。
あの初代Casitaで、心まで満腹にしてくれるヤギさんのサービスを受けてみたい。