『大国を治むるは、小鮮を烹るが若(如)し』
これは古代中国の思想家、老子の著した【道徳経】
その第六十章の冒頭に記されている一文なのですが、この言葉が私の拙いマネジメント思想に於ける基盤となっています。
『弱い小鮮(小魚)を煮る時はちょこまかとお箸でかき回したりすると、すぐ崩れちゃうからダメですよ』
ようするに会社の人数規模がそこそこ大きくなってきたら、あんまし首を突っ込まずに見守っていましょう。
もしお箸を使いたいなら優しく最小限に整える程度になさい、という意味なんですね。
『従事者の不平不満は仕事の品質に直結する』と考える私にとって、それは救いの言葉だったとも言えます。
事あるごとに、社長さんがあれこれ首を突っ込んできたらヤでしょう?
私ならイヤですもの(ホントに)
ちゃんと皆で考えてやってますから、大将は大将らしくデーンと構えといてくださいよ。
困った時はこちらからアドバイス求めに行きますから、なんて思います。
だから私は極力
会議には出ないようにしていますし、任せたからには信じると決める。
信じたら
あとは応えてくれるか裏切られるかのどちらかですから、ある意味とっても楽チン。
これはあくまで経験則ですが、裏切られる確率は凡そ20%でしょうか。
100人いたら20人には裏切られてしまう計算なのですが
そんな時は、かつて師と崇めた人から教わった
『でも、俺は裏切ってない』
という、ネガを満足に変換させてしまう魔法の言葉を心の中で繰り返すようにしています。
それに残りの80人は応えてくれるのですから、これはもう良しとしようではありませんか。
けれど、そんな80人に対しても
怒りを以って正しい方向に導かなければならない時が訪れたりします。
困ったことに組織というものは
皆が付和雷同的に赤信号だと気付かずに渡ろうとしてる時が、周期的にやって来るものなんですね。
関心を持ちつつ放ったらかして、いざという時には鬼神の形相で導く。
お不動さまが、あんなに恐い顔をしておられるのも、実は深い愛があってのことなのだと知った時
『なるほどそうであったか』と膝を叩いてしまったのは、きっと私だけでは無いはずです。