無苦庵記【気づきブログ】

バブル期の自動車&甘味に目がない経営コンサルタントの拙いブログです。

【自由ではあっても自在ではない】経営の為のワークアウト・其の2

旧くなって草臥れたクルマを、新車状態に近づける作業行為をレストアと呼んだりします。
けれど、どんなに錆を落とし、ペイントをやり直し、部品を交換/修復し、機関を整備し、バッチリシャッキリしたとしても
所詮それは新車みたいなクルマであって、決して工場からラインオフされたばかりの新車ではないんですね。


かつて、ある自動車ジャーナリストが「レストアとは自由の概念である」と唱えていました。


どこから手をつける。
なにをする。
どこまで時間と金と労力をかける。
それらのすべては、レストアに取り組む本人の自由だ、と。


私が趣味で仕入れるネオ・クラシックカーのレストアは、軽微な損傷状態であったとしても
やはり数ヶ月の時間と幾ばくかのお金とそれなりの労力を要します。


自由だったけどキリがないし、もちろん新車には戻らない。


そして私が31歳から取り組んでるワークアウトも、正にカラダのレストアであると言えます。


どこから鍛える。
なにをして鍛える。
いつからいつまで鍛える。
カラダ作りに完成形などはないのですが、目安としてのゴールは20代だった頃の自分のカラダに照準を合わせています。


それもこれも皆、当事者である僕の自由なのです。
けれど、だからと言って20歳とか28歳の自分には絶対に戻ることはありません。


この一連の投稿タイトルを「経営の為のワークアウト」と名付けていますが
それは共通点がたくさんあるからなんですね。


若い頃は自分の為だけにワークアウトをしていたし
経営だって綺麗ごとは幾らでも並べられるけど、自分の儲けの為に起業したのではないのか?と問われたら
絶対そうじゃなかったとは言い切れません。
けれど、遅まきながら今は胸を張って『自分(だけの)の為ではない』と言えるようになりました。
経営のレストア、そのきっかけはいずれまた。


総じて、レストアも経営もワークアウトも「自由の概念」ではあるけれど
これら3つの行為を同時進行に近い形で経ることによって、肝に命じなければならないポイントが見えてきたのも事実です。


キリがない。
終わりがない。
完成形もない。


つまり、レストアも経営もワークアウトも
欲のある限り
「自由」ではあっても「自在」ではない、ということなんですね。


良くない人ではなく、欲ない人になろう。


そんなことに想いを馳せる朝でした(なんだそれ)

 

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